小河内の鹿島踊り

 鹿島踊りは奥多摩町における代表的な民俗芸能で、昭和55年に国指定文化財に選ばれています。
 この鹿島踊りは、小河内ダム建設で湖底に沈んだ小河内の日指、岫沢、南三集落の氏神加茂神社及び御霊社の祭礼、旧6月15日の祗園祭に行われたもので「祗園踊り」とも呼ばれていました。
 小河内ダムによる水没以後は、毎年9月15日小河内神社で行われていましたが、現在は9月の第2日曜日に行われています。
 小河内の鹿島踊りは、若衆が女装して踊るもので、これは小河内独特のものとされていますが、この踊りがいつごろから小河内ではじめられたかは不明です。一説では、京都から公卿の落人が岫沢に来て隠れ住んでいて、村人に教えたともいわれ、また、旅僧が教えたともいわれています。
 鹿島踊りは関東や伊豆方面でも多く行われていますが、小河内のものはこれらとは異色の風流形で、古歌舞伎踊りの遺風を留めており、これに類するものは新潟県柏崎市女谷の「綾子舞」、静岡県徳山の「ヒーヤイ踊り」だけのようです。(奥多摩観光協会より)

鹿島踊り

鹿島踊りの起源

鹿島踊り、鹿島踊(かしまおどり)とは、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮に端を発し、千葉県、及び神奈川県西部から、静岡県伊豆半島東海岸にかけてを中心に分布する、各神社の例祭において青少年もしくは成人男子達(茨城および千葉の一部地域においては女子・女性達)によって踊られる集団民俗舞踊。歴史的に本来別系統の弥勒踊り、弥勒踊(みろくおどり)と混合・融合しており、これが別称として用いられたり両者を別々に看做すとしてもひとまとめで扱われることが多い。千葉県南部(安房地方)周辺ではミノコ踊りとも呼ばれる。
20130908_kasimaodori-sairei_p1200068.jpg成年男子による集団民族舞踊

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 鹿島踊りは、その起源について諸説あるものの、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、あるいはその鹿島地域がその起源に関わっているであろうことは概ね共通認識となっている。「鹿島の事触れ」が起源であるという説や、伝播している地域の大部分が沿岸部であることから、石材・木材運搬の担い手たちによって広められたという説[5]などがある。春日大社に踊りを奉納したのが起源とされているところもある。伝播・開始時期も、古代から江戸に到るまで、地域・説によって差異がある。ただし、いずれも概ね「疫病退散」(及び「五穀豊穣」)が主たるご利益・祈願である点は共通している。
 また、上述したように、鹿島踊りは、弥勒菩薩の下生信仰、とりわけ東の海上から弥勒船がやってくるという民間信仰から発生した弥勒踊りと混合・融合してもおり、純粋に鹿島踊りのみにその起源を求めようとするのには無理がある。
なお、民俗学者の柳田國男は、著書『海上の道』において、これらと沖縄・八重山諸島に存在する類似信仰とのつながりを模索している。

かしま‐の‐ことぶれ 【鹿島の事触れ】
昔、春ごとに鹿島神宮の神官が鹿島明神の御神託と称し、その年の吉凶・天変地異などを全国に触れ歩いたこと。また、その人。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)の下生信仰

下生信仰
弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が56億7千万年の未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。
浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。北魏の大乗の乱や、北宋・南宋・元・明・清の白蓮教が、その代表である。
日本でも戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする像として造形されたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元・明時代以降は弥勒の化身とされた布袋として肥満形で表された。一方、飛鳥時代の日本では半跏思惟像として造像が行われた。椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬杖を付いて瞑想する姿である。大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像である。京都の広隆寺の弥勒菩薩像(木像)は特によく知られており、国宝に指定されている(→弥勒菩薩半跏思惟像)。ただし、半跏思惟像の全てが弥勒菩薩像であるとは限らない。平安時代・鎌倉時代には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになる。京都・醍醐寺の快慶作の木像などがその作例である。
日本で広く目にされている弥勒菩薩像に、50円切手の図案がある。これは中宮寺の木造菩薩半跏像である。
弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られる。

20140914_okutamako-sairei_p1230209.jpg成年男子による舞踊

20140914_okutamako-sairei_p1230222.jpg9月の第2日曜日に小河内神社舞が奉納される。

20140914_okutamako-sairei_p1230223.jpg小河内神社 鹿島踊り

20140914_okutamako-sairei_p1230227.jpg小河内神社 鹿島踊り

20140914_okutamako-sairei_p1230217.jpg太鼓と唄に合わせて演舞します。